「NPOって何やってるの?」
一言で説明するのは難しい・・・
ということで、ブログ形式で活動内容を紹介します。
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石積みの呼吸
随筆家であり、こぼし文庫の創設者である、
岡部伊都子氏の著書に
『自然の象』(1980年・創元社)があります。
川西祐三郎氏の装画がしゃれていて、
思わず手にとりました。

岡部氏の著書ということで、
つい何か竹富島の記述があるのでは、
といった読み方をしてしまいます。

斜め読みをしていくと、
やはりありました。
「塀」という文章の末尾の部分。

「沖縄の民家をとりかこむ珊瑚礁石の低く分厚い石垣には、
風土のもつ力強い美しさがある。
同じ石垣でも、竹富島の石垣はよく整っていた。
石積みの呼吸に秀でた島の人々が、
“この塀に開けた入口は、人を幸福にする寸法だよ”
と言われたのが、なんともやさしい口調であった。」

備忘録としてここに記しておきます。     (YI)
白川郷と竹富島
昨日、白川郷の「白川郷荻町集落の自然環境を守る会」
会長の三島敏樹氏にお電話差し上げました。
というのは、『八重山毎日新聞』に連載中の
「八重山の針路と選択」欄で、まちづくりのお手本として、
白川郷が採り上げられていたからです。

白川郷は、先日(9月4-6日)
交通システム導入の先進地として
視察させていただいたこともあり、
親しみを覚えます。
(フィリップモリス・ジャパン助成事業)

白川郷はすでに世界遺産に登録されています。
合掌造りの保存に対する取り組みや
それを活用して観光を推進することなど、
竹富島のまちづくりにも
大いに参考としたいところです。

『八重山毎日新聞』の「八重山の針路と選択」欄では
しばらく「白川郷編」がつづきます。
見逃せませんね。

これを契機にして
白川郷と八重山の交流が
深まることを思います。            (YI)
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勤労感謝の日
本日11月23日は勤労感謝の日です。
この祝日は、
「勤労をたっとび、生産を祝い、国民互いに感謝しあう」ことを
趣旨とし、1948年公布・施行の「祝日法」で制定されました。
これには、第2次世界大戦以前に行われていた「新嘗祭(にいなめさい)」を
改めて制定したという経緯があります。

11月23日が「勤労感謝の日」だというのは、
その日付自体にそれほど深い意味はありません。
新暦が採用された1872年以前、新嘗祭は旧暦11月
2回目の卯の日に行われていたのですが、
1873年ではたまたま11月23日だったというだけのことです。
それで翌年(1873年)から11月23日に固定されるようになったのです。

新嘗祭は、天皇が宮中でその年の新穀を神に供え、
感謝するとともに、自身で食すという儀式があります。
そして、天皇が即位して最初に行うものを
大嘗祭(だいじょうさい)といいます。

国内の神社でもこれにならい、
民間でも農耕儀礼として行われるようになったともいわれています。

谷川健一氏は著書『大嘗祭の成立』(1990年・小学館)
第2章・第3章で大嘗祭の成立にいたる論証に、
沖縄の民俗儀礼に注目し考察しています。
例えば、大嘗祭の抜穂儀礼の問題を考えるとき、
八重山地域の初穂儀礼(スクマ)と比較したりしています。

竹富島の年中行事について考察するとき、
このような視点や方法も参考になるかと思います。       (YI)
芋掘狂言の背景
行事が目白押しの毎日。
結願祭も無事に終えることができました。

今年の結願祭恒例「芋掘狂言」も、
出演者のアドリブも効いて
味わい深い演技を見せてくれました。

ここで「芋掘狂言」の背景を、イモに注目しながら、
少し考えてみたいと思います。
まずは次のセリフから。


  昔やりゃどぅ芋ぬ数んいしょーたる。
  此ぬ三品どぅあったっちょう。
  あーぱー芋、赤ぐるぐわー、白ぐるぐわーてぃどぅ
  此ぬ三品どぅあったっちょう、
  今や世ぬ変るた芋ぬ品ん
  やーさありどぅんなてぃやー。
  よう、此ぬ畝や
  よぎむらさき、農林1号、南国、沖縄1号
  めーひんやーさあすんが覚るぬ。

このセリフから、昔3種類しかなかった芋の品種が、
時代を経て随分増え、今では品種も
「よぎむせさき」「農林1号」「南国」「沖縄1号」のほか、
「めーひんやーさあすんが覚るぬ(もっとたくさんあるが覚えられない)」ほどになったといいます。
また、品種名から外来のものが島に入ってきたことが想像できますが、
その由来のひとつにとして、次の喜舎場永?氏が記録したものも
参考になるでしょうか(『八重山民俗誌 上巻』)。

(YI)
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ミーナライ・シキナライの会
 平成17年3月、喜宝院蒐集館に所蔵されている文書の一部が、竹富町から『竹富町史 第10巻 資料編 近代1』として刊行された。この書は、明治36年の人頭税廃止前後の竹富島の姿を知るうえ、かけがえのない貴重な資料。早速、NPOたきどぅんの管理する「竹富島ビジターセンターゆがふ館」や港湾ターミナル「かりゆし館」で、販売している。

 平成元年にスタートした竹富町史編集委員会は、この19年間に「新聞集成」「近代資料」「戦争体験記録」など、10数冊を刊行し、多くの情報を提供してきた。そして、いよいよ町史の本論ともいうベき島々の歴史にさしかかろうとしたとき、国の三位一体の行財政の改革に迫られることになる。その結果、町史編集室は閉鎖され、編集者は総務課の編集係として他の業務も兼任することになった。しかし、島嶼群からなる島々の歴史はなににも代え難く、行政当局の理解を得、編集室は平成19年4月に復活したという経緯がある。
 これまでに刊行された書籍は、竹富町の島々の歩みとその変遷を明らかにしてきた。そのうえ、「近代資料」は、従来日の目を見なかった、自家版などの資料が、翻刻され、さらに意訳と解説を加え、町民の前に姿を現した。諸資料が誰にでも平易に読めるようになったという功績も大きい。
 幸い竹富島には、崎山毅の『蟷螂の斧』や上勢頭亨の『竹富島誌』、亀井秀一の『竹富島の歴史と民俗』、大真太郎『竹富島の土俗』、辻弘『竹富島いまむかし』などの貴重な著書がある。また、琉球大学や沖縄国際大学の調査報告書などがあるが、最近の刊行された諸資料を参考にしながら、島の歴史を見つめ直し、再編成する時期が来たと私は考えている。
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第30回全国町並みゼミ伊勢大会
第30回を記念する「全国町並みゼミ」が、9月14日から16日の3日間、
「伝えよう心とかたちのまちなみ文化」をテーマにして
お伊勢参りのにぎわいとともに栄えた、三重県伊勢市で開催されます。

3日間のプログラムについて、1日目(9月14日)の全体会では
「開会セレモニー」、河合真如氏の基調講演「式年遷宮と伊勢のまち」、
伊勢からの報告、各地からの活動報告、交流会があります。

2日目(15日)は、町並み見学が、7つの分科会に分かれて行われます。

3日目の全体会では、分科会の報告、
「町並みゼミ30回記念パネルディスカッション」、町並みゼミ総括が
行われます。

パネルディスカッションに
上勢頭芳徳氏(喜宝院蒐集館館長)が
パネラーとして竹富島から参加します。
テーマは「町並みゼミが伝えていくものはなにか」。

ディスカッションは、福川裕一氏(千葉大学教授)をコーディネーターに、
上勢頭氏のほか、中一夫氏(NPO法人小樽・朝里のまちづくりの会)、
北島力氏(八女福島伝統的町並み協定運営委員会)、
岡崎直司氏(宇和中町を守る会)をパネラーとして行われます。

■「第30回全国町並みゼミ伊勢大会プログラム」はこちら

■お問い合わせ

○第30回全国町並みゼミ伊勢大会実行委員会
〒516-0009 三重県伊勢市河崎2丁目25番32号 伊勢河崎商人館内
Tel 0596-22-4877、fax 0596-22-4877
e-mail machishyu@e-net.or.jp

特定非営利活動法人全国町並み保存連盟
〒105-0003 東京都港区西新橋2丁目8番14号 宝栄西新橋ビル401
Tel 03-3595-0731、fax 03-3595-0741
e-mail matinami@pop02.odn.ne.jp
法政大学沖縄文化研究所連続講座
8月4日に法政大学ボアソナードタワー706教室で開催された、
2007年度法政大学沖縄文化研究所連続講座を受講しました。

今回は5月から開講してきた講座の最終回にあたり、
次の3つの講座がありました。

  ○ 永瀬克己 「沖縄の井泉と井戸の形態」
  ○ 安江孝司 「沖縄織物の『系統と文化意義論』」
  ○ 飯田泰三 「『もう一つのアジア』と日本文化」
 
どの講座も、時間と空間を広くとらえた、ボリュームたっぷりの内容。
それらをひとつひとつ竹富島に引き寄せて考えてみる必要を覚えました。

NPOたきどぅんでは、活動の一つとして、
「竹富島の井戸めぐり」ツアーの企画・実施、
古井戸「アーラカー」にポンプを設置するなどを行い、
竹富島の水とくらしにスポットをあててきました。
それだけに、永瀬氏の講座を、興味深く拝聴しました。

永瀬氏は建築学のアプローチにより、
沖縄各地の井戸の構造を具体的に示され、
そこから村の成立や井戸の聖性にまで話が及びました。

「竹富島の水とくらし」に注目した、
NPO活動の展開を考えるうえで、
大きな示唆を得た講座でした。

今後は、永瀬氏の方法から学んで、
井戸の構造を図面化したり、水質調査を行って、
古井戸の再活用を考えていきたいものです。(YI)
豊年祭(プイ)
 西塘ばんはじり(西塘大祭)が終わると、
10日後には豊年祭が行なわれます。

 豊年祭のことを竹富島においては“プイ”と呼びます。
呼称は八重山の各地域によって異なりますが、
一年間でもっとも喜びに満ち溢れた祭りであることは
地域を問わず同じであったことでしょう。

 故 牧野 清 氏は、豊年祭についてこう述べています。

〜八重山の豊年祭祀がいつ頃から始められたものか、
旧記の上でも記録がなく、その起源の年代もよくわからない。
 然し、村々に伝わるミシャグパーシィ(御神酒囃子)の歌
から見て、稲作文化よりもさらに古く、粟作の時代からの
非常に古い祭事であることは疑いない。波照間島では遠く
神々の時代に、西表島の神からプーリィ(豊年祭のこと)
の日取りを伝えてきた旨の神話が残されている。
 《中略》
 御嶽における豊年の感謝及び祈願の祭事そのものは、
きわめて古いものと考えられる。〜


● 牧野 清 著/『八重山の御嶽』 あーまん企画 512・513頁


 竹富島では、初日に各御嶽の氏子が中心となり、六山(ムーヤマ)
の神々に豊年の感謝と御礼を行い、「オオミシャク」「願いの盃」
を歌います。
(オンプイ)

 翌日には、公民館執行部及び神司が、作物の稔りに関係する
御嶽に豊年の感謝と来年の世願いを行ないます。
(トゥヌイプイ)

詳しくはゆがふ館HP 竹富島ウェブログ(2004/8/1)
をご覧下さい。
http://WWW.taketomijima.jp/blog/archives/2004_08.html

(TA)
 

海の主(インヌシュー オーシ)
海の神に対するお供え

 島外でお亡くなりになられた方の位牌(祖霊)、遺骨、死体などを島にお招きする際は、必ず海の神にお供えをする風習があります。
この行事は、海の神に対する死霊の運賃支払であり、また報恩でもあると伝えられています。
また、数ある祈願のなかで、最も厳しい行事とされていて、
過去にはやり直しを何回も行なった。いうこともありました。


 供物は八重山の地域によって異なりますが、竹富島では煮餅、和紙に包んだ粟、反物に似せた和紙(反物の代物)、古い釘などを供え、無事に祈願が終了した際は、供物は海に投げ入れ、海の神に感謝します。

第1回 狩俣・家中「うつぐみ」研究室
この日はとても忙しい日でした。
日中は旧与那国家落成式・祝賀会、夜はこの「うつぐみ」研究室です。
今回が記念すべき第1回目で、早稲田大学の三輪信哉先生を迎え、テーマは「みんなでつくる循環型社会」、つまり、ゴミ問題についてです。
竹富島にはゴミ処理施設がありません。人口350人の島でありながら、年間30万人ともいわれる観光客が押し寄せるので、ゴミ処理には苦労します。
西表島に処理施設ができるといえども、なるべくゴミを出さない努力が必要です。
そしてその努力は、ただ真面目に取り組むだけでは長続きしません。
「みんなにお得」をキーワードに、これからの取り組みを考える必要がありそうです。

青年会やぶなる会(婦人会)、PTAより、真剣に聞き入り、積極的な意見交換をする姿が印象的でした。